京都東山の耳塚、名前の由来は?秀吉はなぜ建てた?朝鮮、韓国人の反応は?

耳塚

京都市東山区には、 「豊国神社」 「方広寺」 「太閤平」など、 かの太閤・豊臣秀吉の残した史跡が 数多くあります。 豊臣秀吉が残した史跡の中でも ひと際、変わった場所が今、とても 話題になっています・・・

京都市東山区にある「耳塚」が話題です

豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)が 朝鮮半島に出兵した 文禄・慶長の役の遺跡 「耳塚」をご存知でしょうか? またの名を「鼻塚」とも言います。 文禄・慶長の役がいつ頃か 西暦でいうと1592年から1598年頃 となります。 塚上に巨大な五輪石塔が立っています。 この遺跡はいったい何の為に 作られたのでしょうか・・・?

耳塚とは?

豊臣秀吉の朝鮮侵略の際、 日本軍が朝鮮人の鼻をそいで持ち帰り、 埋めて築いた塚。 鼻塚ともよぶ。京都市東山区茶屋町、 方広(ほうこう)寺の西にある。 朝鮮侵略において日本軍が相手の首の かわりに耳や鼻をとって秀吉のもとに 送ったことは、 第一次侵略(文禄(ぶんろく)の役)の 際にも部分的にみられた。 しかし、朝鮮南部を実力で奪おうとした 第二次侵略(慶長(けいちょう)の役) では、鼻切りが激しくなった。 秀吉は日本に首塚をつくるため、 非戦闘員である老若男女から 賤民(せんみん)に至るまでなで切りに してその首を送れと指示した。 日本軍は秀吉の指示に従って功名を あげるため鼻切りを行った。首のかわりに 鼻を切ったのは、首が重かったことと、 鼻切りが相手を もっとも侮蔑(ぶべつ)した行為だった ことによる。 日本軍は鼻を塩などに漬けて秀吉のもとに 送った。その際、軍目付(いくさめつけ)が 諸大名ごとに鼻数を点検して請取状を出し、 また、諸大名は鼻切りをした家臣に 請取状を出して鼻切りを競わせた。 加藤清正などは家臣1人に鼻三つを 割り当てている。それゆえ、この残虐行為は 惨を極めた。 秀吉軍の武将本山安政が残した記録には 「秀吉の命令なので男、女、赤子まで なで切りにして鼻をそぎ、 毎日毎日塩漬けにし…」と記されている。 はじめは首を切り落として送っていたが 後に耳や鼻になり、樽(たる)で塩や 酢漬けにされ、九州・名護屋を経由して 秀吉のもとに送られた。 耳、鼻の数で戦いぶりが評価されると あって、秀吉軍の諸大名は競って 切り落とした。 秀吉は1597年に塚を築いた。 このとき、僧侶約400人を呼んで 供養を行った。 うーん、その昔、お侍さんは 敵の首を切って、それを戦いの勲章と していたのですね。 で、首だと重いからという事と 耳や鼻の方が精神的ダメージが 高いという理由で切って集めたと いうことらしいです・・・ で、それを供養したのが 京都市東山区にある「耳塚」 なんですね! ちなみに、 「秀吉の命令なので男、女、赤子まで なで切りにして鼻をそぎ、 毎日毎日塩漬けにし…」 と、非常にエグイ内容の話ですが 京都市の立てた看板に記載されて いるので、この話は本当に実話 なのです・・・ その頃は、それが普通で 切り取った耳や鼻の数を競いあった ということなのですが、 今ではただの狂気としか 思えないですよね・・・ スポンサーリンク

耳塚は韓国・朝鮮の方の観光スポット?

この京都市東山区にある「耳塚」は 歴史好きの方が来る、いわばマイナーな スポットだったそうですが、 ここ最近は韓国・朝鮮からの観光客が多く 訪れるようになっているそうです。 観光ツアーの中に組み込まれているらしく、 毎日観光バスが止まり、 その数50人くらいの団体客が熱心に ガイドさの説明を聞いている・・・ そんな場面が見かけられるようです。 どんな思いで「耳塚」を訪ねるので しょうか?複雑な心境です・・・

なぜ秀吉は朝鮮を攻めたのか?

日本国内統一を果たし天下人となった 豊臣秀吉が、全国の大名を大量動員し、 1592年から1598年にかけて 2度にわたって 朝鮮国(現在の韓国、北朝鮮)に 攻め込みました。 最初の1回目の戦いを 「文禄の役」(1592~1593) 2回目の戦いを 「慶長の役」(1597~1598)と 呼びます。 目的は「明国(現在の中国)を征服する」 ことでした。 しかし、出兵に際して経由地となる 朝鮮に日本への「服属」と「明への先導」 を命じ、従わなければ討つと 伝達したことで朝鮮側の反発が起き、 「明国までの道を貸すように」という 要求も拒まれ、朝鮮との戦いに なりました。戦場となった 朝鮮半島では、多くの被害が生じました。 秀吉は明を支配下に置くことで 莫大な富を生み出そうとしていたのでは と言われています。

まとめ

今回は京都市東山区にある「耳塚」とは いったいなんなのか?というテーマで 紹介しました。 秀吉の野望のために、たくさんの 方が被害にあったことに胸が痛みます。 被害にあった人たちを供養するとともに 決してこのようなことが 繰り返されないよう、私たちは努めて いかなければなりませんね。 今回も最後までお読みいただきありがとうございます!! [colwrap] [col2]スポンサーリンク [/col2] [col2] [/col2]