安田純平(ウマル)記者会見シリアでの拘束はまるで「ホームステイ」と話題

安田純平さん

内戦下のシリアで3年4カ月に わたり拘束され、先月25日に 帰国したフリージャーナリストの 安田純平さん(44)が 2日午前、東京都千代田区の 日本記者クラブで解放後に 初めて会見しました。

安田純平さん(44)が解放後に初めて会見

安田さんは冒頭、 「今回私の解放に向けて ご尽力いただいた皆さん、 ご心配いただいた皆さんに お詫びしますとともに、 深く感謝申し上げます。 本当にありがとうございました」 と述べるとともに、 「私の行動によって日本政府が 当事者にされてしまった という点について、 大変申し訳ないと 思っております」と謝罪した。 危険だから渡航を止める声を 振り切って、 自己責任だと言いながら シリアに行って工作された安田純平さん 当然ながら、会見の冒頭は 謝罪をしてからスタートしました。 <安田さん会見詳報> スポンサーリンク 内戦下のシリアで拘束され、 10月に3年4カ月ぶりに 解放されたジャーナリストの 安田純平さん(44)の 会見詳報の続きは以下の通りです。 「組織名は最後まで知らされていない」  日本側には組織名は言わない。 組織名を言って身代金を取った場合、 身代金の支払いと同時に報復を 受ける必要がある。 最後まで彼らの組織名 というのは基本的には 言われていない。 通訳からは 「組織名を言わなくても 身代金を払うだろうか」と いうようなことを言われ、 それについて 私はイスラム国に拘束された2人 (後藤健二さん、湯川遥菜さん)に対して 「身代金を払う」という形での 救出はしていなかったので、 それなので、私に対して身代金を 払うことはないはずだ ということを話しました。 日本政府は対応について 平等にやるはずだと思っていたので、 日本政府は時間稼ぎをしているので はないかと思っていました。 11月に後藤さんが拘束され、 12月にはご家族への脅迫 などがあり、その後、 1月末には脅迫のビデオがある という流れでしたので、 本当に日本側が対応している のであれば、組織名を聞くなり なんなりしながら、 時間稼ぎをやっても おかしくないなと思っていました。 時間稼ぎしている間に私なりの 何か対応があるのではないか と考えながら、私も 応対しようと考えていました。 繰り返し記載しますが、 事前に危険だから 行くのはやめなさい!という 危険地域に勝手に行って 捕まったにもかかわらず 日本政府はなんとかしてくれる だろうと、アテにしていたのは 充分解ると思います・・・ (*´・ω・)(・ω・`*)ネー スポンサーリンク

民家での拘束は衛星放送も見られた

 (2015年6月29日から) 民家にいた間は「ゲストである」と 言われていて、部屋にはテレビがあり、 衛星番組を見ることが出来ました。 その地域の発電機があるところと 契約していたようで、1日6時間、 長いときは10時間電気が来て、 テレビを見ることが出来ました。 7月に窓も一度閉められたのですが、 その後は観音開きの窓が二つあった のですが、そのうち一つを開けて もらえるようになりました。 占められた間はサウナのような 状態だったのですが、 窓が開けられたことで 過ごしやすいような状況になりました。 工エエェェ(´д`)ェェエエ工 衛星放送が見れるという 状況って拘束されていると 言えるのでしょうか・・・ しかも、窓を空けてもらえて 外を見れるって、繰り返しますが 拘束されていると言えるのでしょうか?

食卓に並ぶのは鶏肉やトルコ料理

民家だったので、部屋の中にトイレはなく、 1日2回、彼らが食事を運んでくるときに トイレについでに行きました。 彼らが見張っている間にトイレに行き、 済ませて部屋に戻るという具合でした。 食事は彼らと同じものを取っていて、 量も特に少ないこともなく、 頻繁に鶏肉であるとか、 料理して持ってきたり。 それからトルコの料理でピザのような 「ラフマジョン」というものが あるのですが、これをトルコの 新聞に包んで持ってきた ことがあります。 トイレもちゃんと行けたみたいですね。 民家のトイレを使えたわけですから 刑務所よりも良い生活なのでは ないでしょうか・・・? 食事も捕まえている犯人と同じものを 食べれて、頻繁に鶏肉ということは ちゃんとタンパク質を摂取出来た ようですね・・・ 時にはピザを食べれるなんて 良いですね・・・ 私はピザは高い食べ物だと思って あまり食べれる機会はありません 。・゚・(ノ∀`)・゚・。 スポンサーリンク

拘束されてるけど外からは大勢の子どもが遊ぶ声が

それから通訳の携帯が メッセージを受信したことが ありました。ということを考えると、 国境からかなり近い場所であろうとは 考えていました。 周囲には民家が たくさんあって、子どもの声であるとか 女性の声であるとか、 外からは大勢の子どもが遊ぶ声が 聞こえてきました。 イスラム教の礼拝を呼びかける 「アザーン」もかなり大きな声で 聞こえていたので、 この辺りは住宅地であろうとは 考えていました。 子供や女性の声が聞ける場所に 拘束されていたようです。 なんか、のどかな場所っぽくて 良かったですね・・・

日本側の「生存証明」を求める連絡で「武装勢力は機嫌が良くなった」

そうした状態でずっと 続いていたんですけど、 12月7日に 「日本側に送るから個人情報を書け」 と言われました。 彼らは「日本側から個人情報を書けと言ってきた」 ということで、これは生存証明で あろうと言いました。 (人質と)引き替えに身代金や 対価を渡すということは、 生きていなければ対価は 渡さないわけですから、 生存証明は絶対に必要です。 彼らは「それを求めてきたということは 払うという流れなんだ」 ということで非常に機嫌が 良くなりまして。看守の中の一人は 「今月中にお前は帰れるからな」と 話すなど機嫌が良くなりました。  彼らは身代金が取れると 思ったようですが、12月の20日過ぎに 連絡が取れなくなったということで、 非常に機嫌が悪くなってきました。 その後、私が人質状態にあるという 報道も流れました。12月の末には 「日本側が連絡を絶った」と いうことも言われました。 非常に機嫌が悪くなり、 トイレの行き帰りに尻を蹴ってきたり とかもされるようになりました。 で、12月の31日に彼らから 「妻の連絡先を教えろ。 日本政府に対して圧力をかける」 と言われ、妻の電話番号と メールアドレスを書かされました。 もうすぐ家に枯れるからなって もう、相手のことを思う友達なのでは ないでしょうか・・・? 中が良い人が出来てよかったですね! で、期限が悪くなったから トイレに行ったら尻を蹴られたそうです。 今学校で起きてる「いじめ問題」の方が もっとヒドイ仕打ちをうけているのでは ないでしょうか・・・? スポンサーリンク

まとめ

シリアに行って3年4ヶ月もの間 拘束されていた安田純平さん 看守たちと同じ食べ物(鶏肉多め)を 食べて、1日2回ちゃんとトイレに行けて 窓を空けてもらえて、空気を入れ替える 事が出来て、近くでは子どもたちが 遊んだりする声が聞こえている場所で 拘束されていました。 シリアから戻る飛行機の中では 「地獄でした・・・」と 言ってましたが、どうなんでしょうか? 自己責任だと、やめろと言われたにも 関わらず、強行突破でシリアに行っといて 行った直後に拘束され 何の取材もせず、ばっちり日本政府に 身代金を払ってもらった 安田純平さん とりあえず、無事に日本に帰ってきてくれて 本当に良かったと思います!! 今回も最後までお読みいただきありがとうございます!! (*˘︶˘*).。.:*♡ [colwrap] [col2]スポンサーリンク [/col2] [col2] [/col2]

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